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2018年02月23日
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教育長人事

2008年09月19日

少し前の話題で恐縮だが、8月24日の三陸河北新報社『いしのまきかほく』に「石巻市教育長の進退」という記事が掲載された。記事は、度重なる教職員の不祥事を巡る教育長の管理監督責任を問う内容だが、文面には、ポスト阿部『跡目争い』が臭い立っていた。

責任論転じて、なぜ跡目争いなのか。記事が、管理体制の不備を論じるのではなく、教育長の進退問題に終始しているように見えたからにほかならない。しかも、教育長ポストは政治色の濃い役職であるという論旨は、綱紀粛正が必要とされているのではなく、後継者という跡目争い、跡目相続は誰?という、ポスト争いに論点を置いた記事以外の何ものでもないからである。

進退に論点を置いた記事は、同時に非常に野次馬的である。気の回し過ぎであろうか?では、野次馬でないとするならば、後継者が誰になるか、で三陸河北新報社にも何かしらの利害が生じてくるから、後継者云々を論じているのか、となってしまうが、それはなおのこと深読みというものであろうか?

振り返って、このところ続いていた石巻管内教職員の不祥事を顧みると、養護教員へのセクシャルハラスメント、指導データの紛失、修学旅行積立金の横領等、法律違反の犯罪ばかりである。まさか、教育長たる方が、いずれも犯罪とは知らなかったというのではあるまい。従って、巷の声が教育長(トップ)交代も止むなしというのは理解できる。しかし、巷の声は、その程度にとどまらない。ポストにしがみついているのは、叙勲が狙いである、とか、教職員の人事権を握っているから付け届けが多い、とか、あたかもありそうな話だけに怖いものがある。

それにもかかわらず、記事を見る限り、現教育長の自らの責任に関する議会答弁等は、私がやったことではない、と他人事のように言っているように思えてならない。まるで、先日、辞任した福田さんのようである。福田さんは、「あなたとは違うんです」という迷台詞を残して結局は辞めたのだが、現教育長はどうなのだろう?管理者責任というのは、どういうものなのだろう?例えば、すべては各自の責任においてというのであれば、ピラミッド構造の組織は必要ないのでは?全員が教育長になればよいのである。各自が誰からの下命も指示も受けることなく、自己の責任において行動すれば、各自の責任の範囲でも仕方がない。が現実には、教育長の下命の下に人事が行われ、石巻市の義務教育体制が出来上がるのである。

しかし、それだけではない。その先に見え隠れするのは、やはり、後継者、すなわちポストのたらい回しにほかならない。教育長人事がどのようにして決まるのか、あずかり知らぬことであるが、記事から推し量るに、公明正大に選ばれているようには思えない。市民の皆さんもその辺りは不思議に思われてきたのではないのだろうか。最終的には、市長が任命権者となるのだろうが、その選任過程が不透明極まりない。教育のトップに関する人事がこのようなことでよいのだろうか?少なくとも現教育長は、最終的に頓挫したオラレ(舟券売場ギャンブル施設)の誘致に賛成してきた御方である。子供たちが育つ環境にギャンブル施設は必要だと主張してきた方である。

後継者指名が存在しているのであれば、市民の皆さんは、ギャンブル施設を推奨し、部下の不祥事に責任を取らない現教育長が後継者指名する後任を良しと出来るか?

叙勲の名誉なのか、それとも他に自分で責任をとることが出来ない特別な理由があるのだろうか?誰も、命に代えて責任を取れというようなことを言っているのではない。一切、責任を取ろうとしない、その姿勢に違和感を抱いているのだと思われる。教育長は責任感というのをどういう風に子供たちに教えるのだろうか?心の荒廃が叫ばれて久しいが、政治性に富んだ教育者の心には、いったい、どんな闇が潜んでいるのか?不祥事防止マニュアル云々の次元ではない。

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